《 この世界の片隅に 》

1月20日迄の上映だとわかり、急遽13日に観に行きました
今年の初映画館でもあったので楽しみでした
いつもは観客少ない劇場が この日、平日の昼間にも関わらず席が埋まりそうでびっくり
隣に人がいるのは久しぶりでした
この映画の評判がそうさせるのでしょう
私もお客様のオススメで観てみたいと思ったのでした




戦前から戦後まで、すずという主人公の女性の生活を描いたこの作品
戦前、戦中、原爆投下、終戦、戦後へ
時代という大きな流れの中
限られたそこにあるもので工夫し、分かち合い、助け合った人々とその暮らし
当時の暮らしを忠実に丁寧に表現することにこだわられていて
生活様式や食事、衣服について新しく知ることが沢山ありました

登場人物の心情が率直で素朴な言葉になっていて、自然に心打たれ
涙が伝う場面が何度もありました


ご飯を食べることがどれだけ大変だったか
配給もどんどん減らされ、野草を食べたり、かさを増す江戸時代のレシピを真似たり
着物をモンペに縫い直したり
戦時下の暮らしを始めて知りました
そんな中にも笑いや涙、喧嘩も恋もあった
それは今と同じです
時代が違うことで、人の生活の背景が変わり
それは少なからず、いえ、とても大きく人生に関わる


戦争による悲劇や不幸が家族を襲う
自分を責めたり、苦しんだりしながらも、思いやって助け合って家族になっていく
やはり日本人は戦時下においても耐え忍び、周への思いやりを持っていた
そんなことがじわりと心に沁みました

映画を見ながら以前お客様のお一人に伺った戦争体験談が脳裏に浮かんでいました
あの時、私は戦争は教科書から学んだ遠い歴史ではないことを知りました
こんな身近な方も防空頭巾をかぶり、空襲に怯え暮らされていた
玉音放送も生で聞いたと伺って、初めて戦争をすごく近くに感じたのでした



映画を観終わってしばらくして、
母の里に戦争で亡くなった軍服の方の遺影があるのを思い出しました
その方について詳しく聞いたことはなくて
祖母が生きているうちに戦争の話を聞いておけばよかったと
すこし悔やんだのでした
戦争でその方が亡くなったことが知らされたとき
当然祖父母たちは、家族を失った大きな悲しみに襲われただろうな
とその時のことに思いを馳せてみました
そんな悲しみが、それぞれの家にあったのかもしれない
お国のため、と言いつつも
国のために戦い命を落とした若者たち
子供や兄弟を失ったその家族


ふと、この作品で伝えられたことは当時どこの家庭でも起きたことかもしれないと感じたのです
祖父母世代が若い頃に体験したことであり
身近な人に聞く戦争体験談に非常に近いのではと
私は既に祖父母達を亡くして、直接戦争の話を聞くことができませんが、
今回この映画を通してすずさんに語り伝えてもらったのかなと思ったのでした



先日上映期間が延長になったと書かれていました
大川や大牟田でも上映決定したそうです
各地で上映されて、一人でも多くの方に観ていただければと思います

Music & Book & Movie - -
『 Swimmy 』
雑貨屋さんで見つけたポスター
可愛くて買ってしまいました




スイミー

レオ=レオニ作
谷川 俊太郎訳

音読の宿題で暗記して
未だにこのフレーズだけ覚えています

小学一年生の国語の教科書には
今もまだ載っているそうですよ


タイミングよく絵本特集の雑誌も見つけ
そこにも取り上げられていました

他にも素晴らしい絵本がたくさんあります

大人になってから読むと深くよく響くかもしれないですね








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" 鉄棒( 二 ) "
七月七日の七夕を境に頃は小暑となりました

ちょっと暑い、そんなニュアンスでしょうか
今朝は通勤中深い紫色の朝顔を見つけました
先日まで紫陽花の彩りも美しかったですが
こちらも見事
花や草木、自然も自然に移り変わっていますね


まだ梅雨明けしていないものの
陽が射すとモワモワと夏の気配
外に出るとミンミンと蝉の声
見上げると青く、いろんな雲で賑わう空
空の端っこにはモクモクと
あれに見ゆるは積乱雲か
陽射しの強さで風景は夏の景色となって映る

気温や地温も熱を帯び
大気や大地の水分が蒸発昇華してゆく
これから夏が来ますね




こんな季節にぴったりかもしれません
以前ご紹介するとお伝えしていた
鉄棒の詩








鉄棒(二)

僕は地平線に飛びつく
僅に指さきが引っかかった
僕は世界にぶら下った
筋肉だけが僕の頼みだ
僕は赤くなる 僕は収縮する
足が上ってゆく
おお 僕は何処へ行く
大きく世界が一回転して
僕が上になる
高くからの俯瞰
ああ 両肩に柔軟な雲



筑摩書房刊「定本 村野四郎全詩集」


鉄棒をする少年
ちょっと高めの鉄棒に
飛びつきぶら下がる
自分だけが頼り
くるりと回って世界を見下ろす
少し上から見える世界
いつもと違う目線
いつの間にか
その景色は私の目線で見えていて
私はちょっと離れて遠くに世界を見下ろしている
そして次の行で我に帰り
私は振り返る
空は青く雲は白い
高いところに少年がいる



鉄棒をするシーンが詩になるんだと
幼心に感心感動したのは未だ鮮明
そして
何かを客観視するようになったのはこの詩がきっかけだったと思います
俯瞰という言葉との出会いの詩です





それともう一遍
以前恩師からの年賀状に載せられていた詩
誰の作品か書かれておらず気になっていました
偶然にもこの鉄棒の詩を探す中
この村野氏の作品だったことがわかりました









鹿

鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

(「鹿」全行)


自然の中の生命
小さな生命が美しく光る

知っていて
じっと立っていた
すんなり立って
村の方を見ていた

定めを抗わず受け入れる姿

目に浮かび神々しく感じました






Music & Book & Movie - -
『 悲しみよ こんにちは 』

立夏を迎え日中は暑いくらいですが
台風6号の進路も心配です
まだ5月なのに
季節が足早に進んでおります




さて、久しぶりにこのカテゴリーです
ここ最近は生活にゆとりが生まれ
自然に本を読む時間が増えました
活字に飢えていたのか、よく読んでいます
文庫本も久しぶりに購入
選んだのは
サガン『 悲しみよ こんにちは 』でした
本当に今更ですが
ようやく読むことができました

今から半世紀以上も前
1954年、わずか18歳のサガンが出版社に作品を送ってきて、なんの宣伝もなしに出版された本なのだそうです

外国の翻訳作品は苦手なものが多いのですが、
フランスとインドの言語や文章は
日本語の繊細さ、丁寧さと似ているのか
とてもきめ細かく読みやすい
訳者の方(今回は平成21年に現代訳をされた河野万里子さんによるもの)
の相性もあるのでしょうが
この作品も非常に読みやすく
すっと中に入っていきました


読みながら何度も唸りました
息づかいが伝わるようで
細部に渡り世界がリアル
生身の人間の生々しい感情描写に惹きつけられる
特に主人公セシルの心に残酷さが生まれる瞬間が見事だなと思いました

人の心
人を想う愛
愛が人との関係性の中
複雑に姿を変える
自己愛、親子愛、恋愛が
嫉妬、妬み、怒りへ
人の心の闇
人の心の残酷さが克明で
全ての人物の感情が生々しい

『 夢想や欲望や想像から引き出した 』

『 私の人生には、幸いにしてこんな陰惨な話はなかった 』

と本人
この全てが18歳の少女の想像力から生まれた事に驚くばかりです

フランスの気ままなきらびやかな世界
ここは架空の世界ではあるけれど
悲しみの結末が苦しい
誰しもあるのではないか
自らの心が招いた悲しみの結末
我に返って見える己の恐ろしくもある負の感情
人は悲しみを負う
そして内包し生きてゆく


悲しみよ こんにちは
あまりにも有名なこの題名
( 原題はポール・エリュアールの詩の一節から取られているそうです )
この邦題( こちらは朝吹登水子訳 )がまた素晴らしい




小池百合子氏の解説もよかった
当時のサガンの世界へ羨望に近い眼差しや
学生運動に懸けた若者たちの息づかいまで伝わるようでした

長く読まれる名作の一つ
まだまだ他にも沢山あるのです

これからまたいろいろ読んでいければと思い本を閉じました






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『 アメリカンスナイパー 』

無音のエンドロールを最後まで観た

灯りが戻り、ようやく立ち上がる
残ったコーヒーが重たく感じられた
いつもなら直ぐに飲み終わる量なのに

激しい戦場の戦闘のシーン
異常な緊張感に呼吸も止まり固まっていた時間が多かった

劇場を出て、外に太陽の光を見れた時
あぁ、平和なんだなと心から思った
そこにいる人々は談笑し穏やかな表情
いつもの景色が違って見える

帰りの運転中もそう
車は安全に行き交い
下校中の子供達は横断歩道をはしゃぎながら走って渡っている
そんな何気ない日常の光景
本当に安全なんだなと思い知らされる

実話だということが重みを与える
情緒的感傷的気分にはなり得ない
世界にはこのような現実、事実がある
それを知った
知ることしかできないけれど、
今在るこの目の前の平和な現実を
初めて心からありがたいと思った
安全が保障された世界に生きていること
己の幸せをきちんと感じ感謝せずにおれなくなった
こんな実感にエゴを感じ罪悪感



私たち日本人にとってニュースの中の出来事
その渦中で戦う人々がいる
信じる正義のため
例えそれは志願したことだとはいえ
そこは生死を賭けた戦場


−戦争で影響を受けないものはいない
−心が蝕まれていく

彼の妻が涙ながらに言った言葉がその家族の現実なのだ
そして突然に皮肉な最期を迎える彼
1974−2013
そう年齢が変わらないことを最後に知りまた茫然となった


アメリカを守るため
家族や仲間を守るため
今回もそんなセリフが何度も出てきた
彼らは愛する国家や家族、仲間を守るという愛、正義のもと自らの命を懸けている
守るための攻撃
そんな大義

愛する家族、子供を持つ人も、
戦場では女性や子供も撃ってしまう
人として心の痛みを持っても、そこが戦場であれば周囲からは賞賛される
仲間の為に、敵を撃つ
正義のために、人を殺す

この矛盾や罪悪の念から逃れることができず帰還しPTSDで苦しんでいる兵が多いということも事実


何故人は戦うのだろう
昔から戦いは続いている
大袈裟だが、戦いによって国は変化し歴史も動いてきたのかもしれない
現代の日本でもいじめや事件はない日はない
人の本能の部分に組み込まれた自己防衛の行為が攻撃なのか
愛憎
愛と憎しみは一体なのか
こちらを向けば愛、
背中側には憎しみを見せる
愛の為に憎しみを抱き、戦う
敵、味方、共にそうだ
真逆の正義や大義があり
それを守るために戦う
認め合うことはできないのか
分かち合うことはできないのか

戦争とはなんなのだろう



私は現実を知ることしかできない

今はこう重たく受けとめているけれど、
少しずつこの平和な穏やかな日常が当たり前になり、それすら薄れている
こんな軽薄な自分に罪悪感



だけど
観なければ感じる事はなかった
観て初めて気付いた事があった

そこがいい映画だとおもう
イーストウッド監督の映画はいつも深い
根源的な問いを投げかける


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